ですがそんな必要はありません。これは私の考えですが、私と勝負できるのは私しかいないということをいつも感じています。どういうことかと言いますと、簡単に言えば相手は昨日の自分や、弱い自分です。相手が誰かだったり、スポーツ選手にありがちな、数字だったり結果だったりすることは私の考え方ではありません。
誤解しないで欲しいのですが、結果を出さなくても良いと言っている訳ではありませんし、結果や、数字にこだわりがないわけではありません。長くこの世界にいると、やるべきことをやっていて、内容が良くても結果が出ないことがありますし、怠けていたり、内容が悪くても結果が良かったりする場合もあります。また長い一年の中にはリズムが悪いとき、流れが悪いとき、いい時もあります。つまり結果は当てにならないものであり、大した問題ではないのだと思います。
それよりも私が重要視しているものは、結果を出すまでのプロセスです。結果に挑戦するまでに、何を考え、どの様に日々を過ごして、努力をしてきたかどうかの方が重要であると考えます。なぜこのような考え方になったかと言いますと、本当の力が欲しいと思ったからです。
小さいころ皆さんも考えなかったでしょうか?想像の中でもし神様が出てきて、3つだけ願いをかなえてくれるなら何を頼む?私も想像していろいろ考えました。お金、大きいおうち、サッカー選手、いやいやそれよりも、女の子にもてるようにしてもらう!などいろいろ考えました。ですが現実に戻るとそんな神様は現れませんし、女の子にももてません。そこで小さいころの私が考えたのはすべてを手に入れるには「本当の強さを身に付ける」ことだったのです。そしてその本当の力とは、お金持ちとか、地位とかではなく、人間としての強さです。もちろんそこにはいろいろな要素、例えば、優しさ、器の大きさ、思いやりの大きさなども含まれます。その本当の強さを身に付ければ、サッカーでも勝ち続けて行けるのではないかと考えたのです。
何かの大会で勝つだけではなく、ズ〜っと勝ち続けるにはやはり本物の強さが必要です。それを身に付けるには、日々、昨日の自分に挑戦して勝負して勝っていくことだと思いました。そうすればいつかは本当の強さが手に入るのではないかと考えています。残念ながら何十年やってもなかなか身に付くものではなく、果てしない道のりの戦いです。ですが、昨日の自分に挑戦する日々は面白く、達成感もあり爽快です。
そうやって毎日、昨日の自分を今日超えることを目標にして行けば、不安になることも、怖くなることもありません。ぜひみんなもそうやって考えてみてはどうですか?
私が自分自身で大きくなった、力が付いたなと感じる時はどんなことをやったときでしょうか?それは意外かもしれませんが、当たり前のことを当たり前に長くやってきたときに(たとえば毎日サッカースパイクを磨くことなど)、何か自然に自分の力が発揮できた時に、少しのことだけど毎日当たり前にコツコツやってきたあれが役に立ったなと感じることがあります。その時はすごい自信になります。なぜかと言えば、その身に付いた力は、誰かがちょっとやそっと努力をしても追いつけない力だからです。その力を身に着けようと思えば私と同じことを同じ歳月をかけてやるしかないので、基本的には私には追いつけないと思うからです。なぜって、多くの人が続けられない。そして続けられた人がいたとしても身に付けた頃には私はもっと先に行っていると思うからです。そんな時、当たり前のことだけど、コツコツやってきてよかったなと心から感じます。当たり前のことを当たり前に、やり通すコツは、途中でやりたくない日や、めんどくさい日が出てくる時に自分に勝つことです。それに勝つことが自分に勝つことだと思います。そしてやった後に私が思うのは、これで昨日の自分よりもひとつ積み上がった。昨日の自分に今日も勝てたなと感じて、自己満足に浸ります。
みんなも自分と勝負してみてはどうでしょうか。なかなか手ごわく、一生をかけて勝負していく素晴らしい好敵手です。
FCカミノ 吉川尚男
どう使うかですね。
人間味もなければ個性もないですが、
人間的に魅力がなければ人は離れていきますね。
培うとはコツコツと積み上げると言う事、
素晴らしいコメント読ませて頂きました